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“ FOOTMAN ”

“footman”? 何それ?
確かにこんな単語はない。僕が個人的に作ったものであるから。
ちょっと前までこのブログのパスワードでもあった言葉であり、
僕のメルアドのキーワードでもある、“footman”。
これについて、少々お話しする。

まずは馴れ初めから。
出発は熱田神宮だ。僕は大学時代の友人の結婚式でそこを訪れた。
型式ばったものが苦手ながら酒を飲んでフラフラとロビーへ出た。
そこに花輪があった。もちろん、新郎新婦の名字入り。
もちろん僕の友人達以外にも、同日に式を挙げる方々のもある。
その中の1つが酔った僕の目をくぎ付けにした。
『ボートマン家』。伝統ある古風な神社の国際結婚カップルのもの。
それもカタカナで書いてある。
「おお、かっこいい!」 僕は引き出物の端にメモをとった。

ちょうどその時期、新しいメルアドを作ろうとしていた。
皆さんもそうだと思うけど、これ、なかなか悩むのだ。
そんな時浮かんできたのがあの“ボートマン”という言葉。
彼が“ボート”なら、サッカー好きの僕は“フットマン”だ。
ここから僕は“footman”を使い始める。

10歳からサッカーをはじめ、サッカーはいつも僕の中心だった。
静岡生まれの僕は、学校から帰って友達と広場でサッカーして、
その後、スポーツ少年団のサッカーの練習に行く毎日。
欲しいものと言えばサッカー用品。スパイクやバックや脛当て。
ファミコンも欲しいが、両方は無理。迷わずサッカーを選んだ。
最大でほとんどの関心事はサッカーである。あとは女の子か…。

僕の中学校にはサッカーがなかった。
同じチームだったうまいやつらは清水の私立中学へ行った。
親は僕の越境入学にOKだったが、僕はNoと答えた。
自分の実力に自信がなかったからだと思う。
私立に行った友人に、「来てたらレギュラー取れたよ」と言われ、
そして、彼らがサッカーを続けている彼らを見て、後悔した。
彼らは中学の全国大会で優勝し、僕は普通の陸上部員だった。
自分の決断力のなさ、臆病さに腹が立った。
そのかわり、中学にサッカー部を作る署名活動に参加した。
学校側の反応は「グラウンドが狭くいから無理」だった。

しかし、僕が中学3年生になった春、学校にサッカー部が出来た。
確かに新グラウンドは建設中だったが、まだ完成に1年かかる。
なのに、なぜ?
それを知って僕は一人、職員室へ乗り込んだ。
「なぜ、サッカー部が作れたのか。状況変わってないじゃん。」
しかし、先生達からはちゃんとした説明が得られず、
大人のパワーを持ってして「教室へ帰りなさい」と押し切られた。
それまで、僕は間違いなく優等生で従順な子供だった。
職人気質の自分の父親に比べて理不尽でない先生は尊敬できた。
高校サッカーのために体力作りで選んだ陸上部でも走り続けた。
勉強も一生懸命やって、クラストップの成績も何度か獲った。
定期試験の理科で学年で僕1人だけ100点を取ったこともあった。
学級委員は常連で、式での学年代表のあいさつも任せられたし、
林間学校等の学年実行委員長や生徒会副会長もやったりした。
だから職員室への単独突入が“初めての先生への反抗”であり、
僕は最後まで全く納得せず、その後も謝罪もしなかったから、
先生にとっても“最強の反抗”だったと思われる。
あの“職員室の件”以来、先生との折合は悪くなった。
もう、何の役も回って来なかったし、僕もやる気がなかった。
優等生で臆病な僕が、一人で職員室に乗り込んで声を荒げる。
サッカーから離れて2年経っていたけど(子供の2年は長い)、
サッカーへの情熱はまったく失せていなかった。
でも、失ったもの以上に、そこからいろいろなものを学んだ。

代わりに入った陸上部は結果として熱中し、多くを学んだし、
その時の仲間が、以前ブログで書いた“年越しメンバー”である。
『来年のことじゃないから鬼も笑えない』
顧問の先生は僕らを「俺の誇り」と言った。
サッカースポーツ少年団の友人のほとんどは同じ陸上部にいた。
卒業する時、顧問の先生は高校ではどうするのか、僕らに尋ねた。
僕は迷わず「サッカー部へ入ります」と答えた。
僕ら陸上部の長距離チームは登り竜のように勢いがあったからか、
他のメンバーは言った。皆、陸上部を続けるという。
あれほど高校はみんなでサッカーしようと言ってたのに。
3年間、その思いを貫いたのは僕だけだった。
22年連続の大晦日ツアーメンバーにサッカー経験者は僕だけ。
だから22年間も続いてきたのかもしれない。

その後は高校サッカーに明け暮れ、大学も体育会系サッカー部、
大学院は社会人リーグで、就職後も県と会社のチームに所属。
大学院時代から初めた“旅”でも、現地人とボールを蹴った。
就職2年目からは小学生を指導するサッカーのコーチにもなった。
高校から今まで、僕の中心はずっとサッカーだったことになる。
いや、10歳からか。中学時代も辛い部活動の心の拠り所だった。
あの時の悔しさがあるから、
サッカー出来なかった時期があるから、
僕はずっとサッカーを続けてきたのかもしれないと思う。
そして、願いを叶えるためにやれることをやり尽くすまでやる、
そんなことを良くも悪くも今でも続けているのかもしれない。

だから、自分を“footman”と称していいかも、と思ったのだ。
プロになったわけでもないけど、僕なりにやり通した感はある。
サッカーを教わり、楽しみ、経験して噛み砕いて、再構築して、
とうとう教えるところまできたしまった。
レギュラーになれないときもあったけど、順風満帆でないが故に、
人並み以上のものをサッカーから得たと言ってもいいかもしれない。

僕にとって、サッカーのコーチになった喜びは計り知れない。
自分の得てきたものを子供たちに伝えることができる喜びだ。
ここでも“footman”が登場する。
子供達へ配るプリントは僕からでなく、“footman”からとした。
様々な影絵人間のキャラクターの頭にサッカーボールをつけて、
これを“footman”とした。
影絵はマイクロソフトの“Office 97”にたくさんあったから、
簡単にいろいろなバリエーションが作れた。
“サッカー”はワールドワイドじゃないから、
“フットボール”を子供達に対して使いたいという気持もあった。
これは他チームとの交流目的で作った僕の名刺の右上にもある。
その“コーチ名刺”を応用した今の“旅人名刺”にも残っている。

現在、このブログを“くらっくぽっと”として書いているけれど、
通り名としてはまだまだ“footman”が上位にある。
宿にある情報ノートに記事を書くときも“footman”と署名する。

そんな、“footman”である。
この頃、ちょっと長めの文章を書きたいなあと思っているのだが、
最も書きやすいのが、“僕とサッカーの物語”なのは疑いようがない。
なにせ、僕の半分はサッカーで出来ていると思っているから。
まだまだ語り尽くせない過去が僕とサッカーの間にたくさんある。

あの時、職員室へ乗り込んで、そして得たもの。
思い出すたびに恥ずかしくもなり、誇らしくもある。
とても子供じみた行為ではあるが、いつまでもそのままでいたい。
今でもそう思っている。
好きなものは好きなのだ。それでいいじゃないかって。

僕の“右腕”である“footman”はそんなやつである。
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