シャンルウルファでの日々は毎日が寝不足気味である。
何故か朝早く目が覚め、その後二度寝ができないからだ。
ということで、ちょっと朝早すぎだがハランへ行ってしまおう。
オトガル(バスターミナル)へバスで向い、ハラン行きに乗る。
ハランへはドルムシュ(ミニバス)で。ほとんど眠ってハラン到着。
ドルムシュ移動中の跳ねるリズムは、眠気を誘発させる。
ハランの町から丘へ上がると、特徴的な“村並”が見える。
薄茶色のとんがり帽子の街並だ。


この形はイタリア・バーリ近郊のアルベロベッロを思い出させる。
ただし、こちらは石組でなく、土固めである。
広がる平野にとんがり帽子が並ぶ。
傍に遺跡もあるのだが、現在も使用されてるとんがり帽子がいい。
並びに並ぶ、とんがり帽子。そこに住む素朴な人々。
手招きして入れてくれるし、特に入場料も取らない。
家の中で土産物を売っているが、そんなんだから展示物のようだ。
ゆっくりとあいさつを交わしながら村を歩き、もう一度丘へ。
しばし丘の上から村を眺め、ドルムシュに乗り込む。
帰りは熟睡。目を覚ましたらオトガル。ドルムシュ内に一人。
後部入口は自動ドアだから運転席から外へ出る。
お金払ってないが、運転手がいない。出口へ歩く途中声がかかる。
彼は他のドルムシュの中で、他の運転手と盛り上がっていたのだ。
起こしてくれればいいのに。お金を渡して町へ戻る。
順調なハラン行きとは異なり、マルディンへは時間がかかる。
早朝に宿を出たのにもかかわらず、空席のあるバスがない。
BTに9:00着も出発は11:30。更に出発が予定より1時間遅れた。
運賃も高い。20TRL(1,000円強)。イスタンブールまで行ける値段。
たかが2時間半で。マイナールートは意外に高い国なのかも。
正直な所、マルディンにここまでの期待はしていなかった。
ドラマの舞台になって、今トルコ内で注目の観光地とはいえ、だ。
バスから見えてきたのは、山の裾にへばりつく街。変な光景。
オトガルは山裾。町は山の上方。戦略的要地のような作り方。
町の建物は伝統が感じられる。迷路のようになって上へ広がる。
雰囲気のある街並みである。山の上にはマルディン城がある。
現在は軍施設となり入れないが、その下からの眺めが素晴らしい。
ここが、間違いなく、僕が今まで見た中で最高の平野だろう。
平野をここまで美しいと思ったことは今までなかった。
写真で伝わるだろうか。まるで、海のような平野である。
この平野は国を越え、シリアまで続いているという。
二国に架かる平野、である。
暗くなった後には、黒々とした“海”のあちこちに明かりが灯る。


ハサンケイフへはマルディンからミディヤット乗換で行ける。
各1時間の計2時間で着いたのは、チグリス川にかかる橋の跡だ。
メソポタミア文明を形作った2本の川。
ユーフラテス川はシリアのデリゾールから。
もう1本のチグリス川はハサンケイフから見ることになる。
ちょっとした“ヤッタ感”がやってくる。
街道沿いのレストランで荷物を預かってもらい、遺跡へ向かう。
モスク跡へ行くと、そこは子供たちの遊び場となっていた。
僕が入って行くと、モスクから僕自身が子供達の遊具となる。
写真を取りながら遊ぶのはいいけれど、段々とエスカレート。
子供達は僕に石を投げ始める。こりゃ、たまらん。
もちろんふざけているだけで悪意はないのだが、逃げるしかない。
遺跡へ。というか、メインの遺跡は入れない。損傷が酷いのだ。
谷の道を挟んだ向かい側の丘に登る。そこから遺跡を眺める。
背後にチグリス川が控える遺跡は、なかなかに優雅なものだ。
高いところが大好きな僕は他の観光客が来るまで飽きずに眺める。
さて、一番の名所はその、チグリス川に架かる橋跡。橋桁である。
チグリス川に架かる、現在使われている新橋を渡り、河原へ。
新橋から見下ろすのもいいが、河原から見上げるのもいい。
日差しに温かさがない。寒さに耐えられなくなるまで見上げる。



実のところ、僕にとって東トルコは印象が強くない地域だ。
その中で光っているのが、このハラン・マルディン・ハサンケイフ。
遺跡好きじゃなくとも、東トルコ観光にこの3つは欠かせない、
と僕は思う。
スポンサーサイト