FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ピグミーのボーダー (11月4日~8日)

ウガンダへ。最初に着く町は、カバレ。ルワンダの入口は、ブタレ。
とても間違い易い。行先を告げる時には気をつけねばならない。
カバとブタ。上がカバで、下がブタ。……いい覚え方はないものか。
ウガンダの西を北上して行くと、フォートポータルの町がある。
カバレとフォートポータルに共通するモノが1つある。
近郊に世界最小身長のピグミー族が住んでいることだ。


カバレは、ウガンダ一美しい湖とされているブニュニ湖観光の入口。
『歩き方』には載ってないし、『ロンプラ』アフリカ版の情報も薄い。
いつものように英語なのに僕の意図を理解してくれないアフリカ人。
それでも何とかブニュニ湖の宿を確保、バイクタクシーを走らせる。

湖畔のルティンド(Rutindo)・マーケットのホテル専用ボート乗り場。
僕の選んだホテルはByoona Amagara。『Good Life』というホテル。
迎えに来てくれたカヌーに乗って自分も漕いで、約1時間。
ホテルのあるイタンビラ(Itambira)島へ着く。緑豊かな島。
ブニュニ湖の水は濁っているが、景観は美しい。ドミトリーに入る。
ドミの文化がないアフリカ。だからアフリカにあるドミはいい。
ほとんどが外国人オーナーだから、清潔で居心地がいい。
レストランが高台にあり、湖を見下ろし、島々を見渡せる。
フリーのウガンダ・ティーを飲みながら、のんびりと過ごす。
夜はクレイ・フィッシュ。ザリガニだ。シチューにして食べる。
味はエビ。ただし、身は小さく、小指の先ほどしかないが美味い。
すべて太陽光発電で部屋に電気がないので、夜は早い。

翌日、前日にカヌーで送ってくれたレバン君とピグミー村へ。
彼は学生だが隔週で休みがあるので、休みの週はバイトしている。
プロではないので安く案内してくれるので、昨日約束をしたのだ。
カヌーで更に南下。疲れたら休み、一息ついて、また漕ぐ。
時速は3-4km/Hr。ゆっくり進む。水鳥が湖に潜るのを見る。
数分後、プハッと顔を出す。僕らのボートはそれほど進んでいない。
約2.5時間でキブユ・マーケットへ。ここは島ではないらしい。
ただし、ルワンダ国境近く。生活圏としてはルワンダに近い。
ルチガ語よりも、キニャルワンダ(ルワンダ語)が話されている。
カバレ周辺よりもルワンダとのつながりが強いのだろうか。
この地域にピグミー族が住んでいる。彼らもキニャルワンダを話す。
歩いていると、小さなオバさんが笑顔で寄ってきて、握手。
ピグミー族だ。彼女と一緒に歩く。
道の上、斜面の上にピグミー族の家がある。子供達の声がする。
「How are you ?」僕は、「I’m fine, thank you」と応える。
それでも子供達は「How are you ?」と叫び続ける。
たまに、声を聞こえても何処にいるのかわからない時もある。
探すと、あ、いたいた。声を張り、手を振って応える。
一緒に歩いてきたピグミー男の家へ行く。大勢の人がいる。
ピグミー族は大家族で1つ処に住む。家族毎、1つの家が村となる。
貧しさは町の比ではない。パンツを穿いている子供はいない。
歌と踊りを見れるらしいのでお願いする。ま、5分で終わる。
その後に料金でレバン君と揉めた。こちらの方が催しより長い。
先に幾らかと聞くように言ったのに。レバン君、ちゃんとしてくれ。
アフリカで学生ガイドを頼むとこういうことになる。モシもそうだ。
彼らは観光客相手のアフリカ人の金汚さを分かっていないのだ。
彼らに悪気はないのだろう。僕がもっと気をつけなければならない。
帰り道、レバン君は他の島にも寄ってくれる。ほぼ1日がかり。
彼はいい奴だ。明日の本土へ戻るカヌーもお願いする。
ホテルでフリー・ティーを飲もうとしたら、もう終了だと言う。
まだ17時なのに…、いや、実は18時。確かに、お茶提供終了時間。
ルワンダとほぼ同経度なのに、1時間時差がある。
ウガンダはケニアやタンザニア時間に合わせているのだ。
今日がウガンダ入国3日目。3日目にして、時差に気付く。
今朝のレバン君との約束時間も1時間遅れていたということ。
彼は何も言わなかった。僕が“アフリカタイム”だったのだ。

カバレに戻り、深夜のバスでフォートポータルに向かうことに。
夜中2時発。夕方にプレミア・リーグを現地民とレストランで見る。
ちょっと眠ろうかと思った22時過ぎ。宿で注意を受ける。
夜2時に町を歩くな、という。危険らしい。座れなくなるらしい。
チケットを買う時に30分前でいいと確認したのに。
眠らずにバス乗り場へ。バスはいっぱい。何とか入り込む。
手すりに1人座るので5列シートはより狭くなり、眠れやしない。
それでもじっと待ち、バスが出る。走り出したら、何故か眠れる。
疲れがある敷居を越え、動いたことで僕が安心したためだろう。

朝8時。フォートポータル着。爆睡して、移動疲れは薄い。
今日行ってしまおう。ホテルに荷物を置き、ピグミー村へ。
ピグミー村へは3時間。緑の濃い山々の間をゆく景観は素晴らしい。
ウガンダの自然が美しいのは予想以上だ。
ただし、道が悪い。更に、このミニバスは人を詰め過ぎだ。
ミニバンの最前列に5人。そのうち1人は太ったおばちゃん。
プラス、金を集めドアの開け閉めをする男が助手席の裏に座る。
身動きが取れず、重い荷物も僕の腿の上に置かれる。
途中で痺れた。両足とも。男に足を持ち上げられ、なんとかなる。
この道の悪さと詰め込まれ方は、アフリカ東部有数だろう。
ま、仕方ない。もうすぐそこはコンゴ国境なのだ。

ミニバスを降り、同乗の人に連れられてピグミー村へ。
村と言っても、またもや1家族のようなモノだ。
人数は20人くらい。建屋も5つくらいしかない。
壁のある家はEUの援助で建てられたものらしい。
彼ら本来の住居は穴のないタテアナ式住居のようなものだ。
案内されるままに家に入る。2人だけ英語を話すピグミーがいる。
そのうち1人が、キング。長老の風格だが、36歳だと言う。
僕と1歳しか変わらないが、老けてみられる僕から見てもジジイだ。
英語を話すと言っても流暢なわけではない。片言である。
最初は訪問料の話。30,000UGX(約1,000円)は少々高い。
次は土産物の話。僕は鈴のような楽器と大トカゲの足を買った。
そして、歌と踊り。これも20,000UGX(約700円)だと言う。
川生の太鼓が叩かれ、その周囲を廻って歌って踊る。
僕にも参加しろと言うから先程買った楽器を手に適当に踊る。
すぐに終了。結局ほとんど見ていなしし、まあ大したことはない。
ブニュニ湖周辺同様、ピグミーの文化レベルは高くはないのだ。
形があるわけでもない。演奏も踊りもオモイオモイやっているだけ。
彼らは狩猟民族だ。今でも夜になると毎日、森の中へ狩りに行く。
ブタやトカゲやワニ、バッファローも食べるらしい。
小さいけれど力は強い。昼間は自家製マリファナを吸っているが。
彼らの現状については一応話を聞けた。
歴史的な話は更に20,000UGXで話すと言う。もう、いいよ。
すぐにカネカネ言われると気分的に落ちてくる。
チップ程度ならいいが、ウガンダではそれなりの額なのだ。
仕方ないのかもしれない。ピグミー族は、貧しい。
子供は皆、パンツも穿いていない。ちょっとお腹も膨らんでいる。
だから、割礼の習慣があることが分かる。
彼らの収入源は薪を売ることと観光客からの収入だ。
だからカネカネ言うことになる。仕方のないことかもしれない。
彼らの生活を見たいと村に尋ねる時点で、僕らは“客”である。
友人ではないのだ。余裕があるならば、友人にもなり得るだろう。
自然に話を聞き御馳走になり、僕らも何かお礼をする…
そんな、旅人が求める関係を作るには時間が必要なのだ。
ちょっと訪れた旅人が望むものはアフリカの民族にはないのだ。

それなりに話を聞けたが、英語が十分通じるわけではない。
もう1人の英語を話せる男はEUの援助で学校に行けたらしい。
今は援助がないとのことで、誰も学校になど行けないそうだ。
彼も英語はお世辞にもうまくない。こちらの意向が伝わらない。
例えば、先王は96歳で亡くなった。今の王は、36歳。
先王は今の王の父親である。代々、直系が王を継いでいく。
王が死んだら、その息子が次の王になる。
ということは…、先王は今の王を60歳以上で作ったことになる。
本当か? コレを確かめようとしても、確かめられない。
まあ、蛇の粉を精力剤として飲む彼らならあり得るかもしれない。
それ以前に生まれた子供はどうしたのだろうという疑問は残る。

フォートポータルに戻ろうとミニバスを待つ。
停車していたトラックの方が安いらしいが、エンジントラブル。
ブッといコードが切れている。これは今切れたものではない。
適当に繋いで走らせようとしている。よく今まで走ったものだ。
こんな状態で車を走らせるとは、正気の沙汰ではない。
次のミニバスに乗る。来た時と同じミニバスだった。
今回も1列に5人、前にはあの男が座る。帰りは足が痺れない。
慣れや順応とは恐ろしいものである。

僕がアフリカに来て思うこと。アフリカ人は今の生活に慣れ過ぎだ。
だから、進歩がないし工夫がない。諦めているのか、何もしない。
コレをどう捉えるかは、もうちょっと考えてみたい。
ピグミーに会いに行く。その150cm程しかない大人に会うこと。
見応えがある文化があるわけではないが、貴重な体験である。
ただ、ピグミーもアフリカ人を考える1つの機会でしかなかった。

ウガンダのピグミー族は国境付近に住んでいる。
それも内陸部のコンゴに近い。首都から遠い、田舎中の田舎だ。
貧しい彼らの限界。援助の限界。努力の限界。
最後の“努力”とは、日本人のイメージする努力ではない。
もっとできることがある筈だが、そういうマインドがまずない。
教育が大切ではないのか。効率や他の価値観に準ずるべきなのか。
それで部族の伝統を維持できるか。選択することができるのか。
西洋的な価値観を受け入れようとするか。今のままが幸せなのか。
物資やお金のなさとストレスのある生活、どちらがいいのだろう。

どちらにしろ、
今の彼らの限界は、国境という“ボーダー”よりも近い。
スポンサーサイト

comment

Secret

プロフィール

くらっくぽっと

Author:くらっくぽっと
僕の”CRACK”が
あなたにとっての
”crack”になりますように・・・

YAHOO!検索

Yahoo! JAPAN

あなたの天気予報
ブログ内検索
リンク
最近の記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。