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遠くの白波 (10月2~14日)

マラウィはゆっくりすべきところである。居心地のいいところだ。
ただ、僕のビザは14日しかない。だから急いでリコマ島を出た。
それが、ンコタコタとンカタベイの“肩すかし”で日にちが余る。
ま、そういう時は逆に急いでしまおう。今回はそれが裏目に。
湖を離れ、次の目的地はザンジバル。ここでもまた…。


ンカタベイの宿で聞くと、一日でタンザニアに着けると言う。
フランス人カップルと一緒にンカタベイを7時30分に出発。
交通の要地ムズズで運よく国境直通ミニバスに乗ることができる。
結局はカロンガの町で乗り換えることになったが、スムーズ。
乗客が少なくなったら乗り合わせることは、よくあるのだ。
車の速度も速い。マラウィじゃないみたいに。国境に着く。
とりあえず無難に越える。タンザニアイミグレまで歩く。
興味が薄い国だから、ビザ代50USドルは高く感じてしまう。
イミグレ職員に聞く。「ムベヤまではいくら?」「4000TZSよ」。
TZSはタンザニア・シリング。Tshとも書くが前者が国際的略語だ。
予定外の早さで出国したためにマラウィ通貨(MWK)は余っている。
しかし、この国境は闇両替だけ。マジシャンのように金を抜く。
100MWK≒800TZS。500MWK(約300円)でムベヤまで行ける。
500MWK札一枚なら誤魔化されない。彼らも同様、各自1枚両替。
4,000TZSだけ持ってバス乗り場へ。これが結構距離がある。
暑期の炎天下で、汗だく。今、水を買う現地通貨の余分もない。
何とか着くが、ヘトヘト。バス代は5,000TSZに値上りしていた。
周りに両替商はいない。これではバスに乗れないではないか。
また国境まで30分も歩く気にはならない。汗が冷えて、冷たい。
プラス1USドル払うことで交渉も纏まり、バスに乗り込む。一息。
マラウィ移動時の席は余り場所がよくなく、尻半分で座っていた。
そんなこともあって結構体が辛い。このバスも厳しい。
その上、予想外に標高が上がり風が冷たい。暑期で長袖は鞄の中。
冷えた。ムベヤに着いた時には熱っぽい。安宿も空きがない。
加えて、ATMはホテルからタクシーで行かねばならないと言う。
やっと落ち着いた夜中、予想どおり、熱が出ている。
どっと疲れがでてくる。空も真っ暗。星も見えない。
久しぶりに湖からも海からも離れ、波の音も聞こえない。

朝にはほとんど熱が下がったが、もう一日滞在延長することに。
向かうダル・エス・サラーム(通称ダル)までは12時間の道のり。
今、アフリカ東ルートで最危険都市だから暗くなる前に着きたい。
翌日は朝6時発のバスに乗る。余り乗り心地は良くない。
昼飯休憩は10分。僕はテイクアウト。食堂でかきこむ乗客もいる。
移動中の窓から見えるバオバブの数は凄い。リコマ島以上か。
高バオバブ密集地帯である。観光地を作ればいいのに、と思う。
18時過ぎに到着。目的の宿は町中だが、夕方の大渋滞の真っ最中。
タクシー代も高すぎる。バスターミナル周辺の安宿にする。
宿の人はにこやかだし、1泊450円の安さが嬉しい。
ただし、英語を話せる人は1人しかいない。結構、厳しい。
マラウィの町は90%以上OKだが、タンザニアは30%くらいか。
一応公用語なのだが…。語学教育面ではタンザニアはレベルが低い。
ザンビアとマラウィは基本的に英語で皆と会話ができた。
だから、現地語の挨拶をすればいいコミュニケーションができた。
タンザニアの主言語はスワヒリ語だ。簡単に話せる言語ではない。
安いだけにシャワーはない。“ルーム”はあるが、ノズルがない。
自分で水場からバケツに水を汲み、“ルーム”で小桶で水を掛ける。
ダルは海沿いだが、水音は自分で水を体にかけた音だ。

ミニバスでシティ・センター(街の中心部)へ。
宿の女性が一緒だったから町を歩く。この町は昼までも要注意。
日本人男性が強盗がらみで亡くなったのは、記憶に新しい。
ただ、それをタンザニア人に言うと、彼らは笑うのである。
現地人には安全かもしれない。が、何故殺人事件を笑えるのか?
タンザニア人のモラルと言うものは低いと言わざるを得ない。
最悪なのは交通機関で働く人達。かなりボルし、悪質である。
払った代金とチケットに記載の代金が違うことばかりなのだ。
フェリーチケットはTaxだと5USD余分に取る。
ザンジバル島ではチケットが高くなるから往復買えと嘘をつく。
何故こんなにあからさまなことをするのだろう。
ダルからモシまでは更に酷かった。コレは過去最低だ。
前日に買った時、『歩き方』記載の値段で2列×2のシートと言う。
当日行けば2列+3列ではないか。3列シートの通路側は最悪だ。
メチャクチャ狭いので、寝ていると押されて落ちてしまう。
当日、僕からお金を受け取った仲介人と運転手がモメている。
正価の890円と売値の1120円、差額をどちらが取るか。
(僕は彼がバス会社の人でなく仲介人だと、その時に知った。)
乗客がチケットを見て正価を知った後、その乗客の前で、だ。
じゃあ、キャンセルだ。全額返せ。お前らのバスには乗らん。
全く取り合わない。早く乗れと言う。殴っていいかな、と思う。
気分が悪い。タンザニアの長距離バスに良心やモラルはない。
でも、誰かから買わねばならない。希少な白を見極めるしかない。
失敗は諦めるべき。でも、ボられることを容認するのは良くない。
なんとか自分の中で折り合いをつけないと旅がつまらなくなる。
旅に疲れているのか、なかなか折り合いがつかないのが今の僕だ。
マラウィやザンビアの誠実さと親切さが懐かしい。
人を信じやすくなっている。これはなかなか切り替わらない。
ビクトリアの滝とマラウィ湖の水は澄んでいたのに。

安いチケット(それでも20USDもする)の船は3時間かかる。
到着するのはザンジバル島のストーンタウンの港である。
この島は昔、1つの国であった。その名残で港にイミグレがある。
現在でも入島時に書類を書かされ、入国スタンプまで押される。
タンガニーカ共和国とザンジバル共和国が併合した、タンザニア。
タンガニーカ共和国は内陸のタンガニーカ湖まで続く大きな国。
ザンジバル共和国は小さな島1つとその周辺の小島の国。
タンザニアの『タン』は、タンガニーカの『タン』であり、
タンザニアの『ザ』は、ザンジバルの『ザ』なのだ。
極小国のザンジバルだが、文化レベルは周囲からズ抜けている。
アフリカ中部に、こんな遺跡のような街が現存しているのは凄い。
ストーンタウンはアフリカでは有数の美しい建造物を誇る。
ただし実際は、街並にそれほど感動するかと言うとそうではない。
アフリカだから際立つ。“レンズ越し”に見るべき必要はある。
ザンジバルは、『黒人アフリカ唯一のアラブ文化島』である。
この町は建造物よりも、その中東的な雰囲気が僕を興奮させる。
細い迷路からなる町。様々な物が大量に並ぶ市場。香辛料の臭い。
その場にいるのが皆黒人であるのが、異様である。
街角では御猪口1杯6円でアラビックコーヒーが飲める。
一緒に食べるお菓子は中東並みの甘さ。これも1個6円だ。
そのお菓子もチャイも、ジンジャーの味がビックリするほど濃い。
夜に出る屋台は1食60円以下。肉は一欠片入っていれば上等だが。
足りなかったらタコやイカを食べる。一欠片、約10円。
デザートにはパパイヤやパイナップル。これも一切れ約10円。
最後は屋台のホットミルク。甘くて熱いミルクは格別だ。
屋台地区から海は見えない。白いミルクが目の前で揺れる。

2泊した後、有名な日本人宿のあるジャンビアーニ村へ向かう。
トラックの荷台に屋根を付けた乗り物、ダラダラが走る。
宿でバックパックを背負った時、腰を痛めてしまう。
コレはアレだ、軽いギックリ腰だ。久しぶりにヤッテしまった。
今のうちに動かないと時間が経てば移動できなくなってしまう。
痛みをこらえ、ジャンビアーニへ。マライカ・ゲストハウスだ。
日本人が立ちあげに関わっているからか、客のほとんどが日本人。
僕が行った時は誰もいない。腰が痛いから小説を広げて横になる。
夕食は魚料理。少々少ないが、ご飯はおかわりできる。
宿の向こうに海が見える。腰が痛い僕には、ちょっと遠い海。

ハジさんはいい人で、子供も可愛い。村の雰囲気もいい。
朝夕食付きで10USDと安い。ただ、それほど好きになれない。
何故この宿がそんなに人気があるのか、結局わからなかった。
この宿、電気がない。裏の家で充電可能だが。水もよく断水する。
元気ならばいいかもしれないが、僕は腰痛で動くのが辛い。
こんな時PCが自由に使えないのはかなりイタイ。
こういうのを昔ながらで文明に侵されていなくて素朴というのか。
“ない”のがいい、というのはどんなもんだろう。
残念ながら、そう思う人はまだその時も、文明に酔っているのだ。
電気のない生活を体験したいなら、自分の決定で日本できる。
到着翌日にアフリカ南下中の4人がやってきて賑やかになる。
1人では飲む気がしない夕食時のビールが美味い。
彼らと話すのは楽しいが、基本的に僕はベッドに寝たまま。
一緒にシュノーケリングに行けなかったのが残念。
彼らが海に潜っている時、僕は小説の中に浸かっていた。

2日で彼らはいなくなり、入れ替わりにT君が来る。再会。
腰の状態も良くなってきた。小説も4冊読んでしまった。
少し痛みはあるが隣のパジェ村まで一緒に行く。比較的大きい村。
カフェでWifiが繋がらない。店員さんがPCを貸してくれる。
エチオピアビザが空港以外で取れなくなったことが確認できた。
アフリカ陸路縦断不可能に。急ぐ必要がなくなり、ホッとしたが。
日本人経営のレストランへ冷麺を食べに行く。安くて美味い。
久しぶりの外出で海岸へ出向くが、潮が引いて、海は数百m先だ。
それにしても、干潮の時にこれ程までに潮が引くのか。びっくりだ。
病み明けで疲れ気味なので、海岸から眺めるだけ。
海岸にいるのに、白波は遥か向こうに見える。

もうココに滞在するのはキツイ。5泊でストーンタウンへ戻る。
到着日はゆっくりする。町へ出るが、最初の感動はもうない。
城壁のある海側に行っても、町の海はお世辞にもきれいではない。
綺麗な海といえば島の北部、ヌングイだ。
翌日にダラダラで向かう。太陽は雲の中、薄暗く、少々雨まで降る。
もう小雨期に入りかけているのだ。水は綺麗だが、綺麗さ半減。
ストーンタウンの宿に戻り、シャワーと食事を済ます。
本土へのフェリーは22時発で、イミグレが開く早朝に上陸予定。
20時30分に行ったらもうほとんどの人が乗船を終えている。
イミグレも人がいない。出国スタンプをもらえなかった。
ま、ホントの“国”じゃないし、大丈夫だろう。
結局僕が乗って15分後にフェリーは出発する。ギリギリだった。
混んでいるのに、なぜか1つだけマットが空いている。
ほっとして横になった後には、窓から海を覗く気にもならない。
もう暗いのだ。どちらにしろ、フェリーの窓から海は見えない。

ダル到着後にターミナル傍の宿へ戻る。モシ行きチケットも購入。
夜行で到着だったが、今日はバスで1時間のバガモヨへ行く。
ジャンビアーニの寝たきりの日々を取り返すように行動派になる。
長距離バスターミナルからミニバスでムウェンゲへ。
ここからバガモヨ行きのバスが出る。1.5時間で到着。
バガモヨは「我、心ここに残す」という意味らしい。
奴隷貿易港だったこの地から船に乗せられた黒人たちの言葉だ。
そんな地だからこそ、奴隷貿易時代の品を展示する博物館がある。
手錠などが並ぶ。横には大きな教会がある。見学後、海へ。
また干潮だ。ザンジバル島の対岸であるココも引き幅は大きい。
腰の調子もいいし、踝ほどの深さになった“元海”を歩く。
素足で歩くと気持ちがいい。子供はヤドカリを集めている。
浜で魚の競りをやっている。買うはずもないのに円陣に割り込む。
人の輪の中から沖を見る。沖だけでなく、白波も遠くにある。

タンザニアに入ってからなんとなく旅に活力がなくなっている。
腰痛が大きな原因なのは間違いないが、なにかと空振りが続く。
内陸のムベヤはもちろん海などなく、ストーンタウンの海は汚く、
ジャンビアーニでは腰痛でベッドの上、ヌングイは雨が降り、
パジェとバガモヨは干潮で、岸から遥か向こうに海があった。

やはり僕と海との相性は悪いようだ。僕にとって白波は遠い。
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